「外見でなく中身を見てほしい」就活生・若者・恋愛中の人へ!
「「中身を見てくれない」」
中身を見てほしい就活生は多数いますし、若者も大人も、中年も、恋人も、「中身を見てほしい」とよく言います。私はその人に対して、心の中でこうつぶやくかもしれません。
「「「愚かもんが!」」」
中身なんて見えっこない。中身を見ようとしたって、結局外見でしか君たちは見ませんよ。だって…無理だから。できるわけないから。私は一般人で、しかも偏差値が38でも入ることはできた大学卒なので。
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人間はバイアスがかかりやすい
光背効果/ゴーレム効果って知っていますか?心理学を専攻していたり学習経験があったりすれば知っていると思います。知らない人はここで解説します。
例えば、「恵まれた家庭に育った…それなら良い子に違いない」という、「良いものがあれば、残りも良い」という思い込みです。「頭がいいなら、素行もいい」「所得が高ければ、態度がいい」という例もあります。概ね当たっているだけ厄介です。
逆に「クラスで一人がうるさいと、残りも態度悪い」と教える先生が要るなど、「悪いものがあれば残りも悪い」という考えもあります。ゴーレム効果です。
意識しないと光背効果やゴーレム効果に囚われます。人事の採用ならまだしも恋愛は光背効果の典型が見られます。かわいい子は優しいに違いない、かっこいい子は頼りになる、ブスは無礼、とかね。
君が見た目が悪いと、余程訓練された相手以外は、自分自身の中身を高く評価することは無いかもしれません。最初から一定のスキルを求めている転職市場なら評価されますが、ポテンシャル採用や恋愛では産業廃棄物です。
見た目は最低限、自分自身の性格位良いものにはしたいですね。
人間は誰も察せません。あなたが評価されるのは「外見」
残念ながら、人間は中身を見透かすほどには賢くはありません。君自身人の中身を見れましたか?見ようとしたところで、相手の外見以上の成果を上げられることは無いでしょう。
相手への「自分への評価」=どんな中身を「外見として」出しているか、です。
言い換えると、自分を出さないといけません。適切な根拠などで、「私は私だ」と言えるようにならないといけません。
例えば私は明るいって言っても説得力ある?ないよ?春香は聖人のような優しい人って言っても、その春香って人を知らなければ実感わきませんよね?
説得力を持たせたければ、補強のためのエピソードを話すとか、普段の行動で証明したりとか…それぐらいすべきです。
※コツはいろいろありますが、例えば就活中の場合は「就活の自己PR方法」を参照してください。中身を見ても、実際にどう評価するかは異なる
当然のことですが、中身をきちんと見てくれる聖人が時々いたとして、その聖人がどう評価するかどうかは別です。
しかも相手の人生経験や社会的コンテクストは異なります。君に対してどう評価を付けるかは別物です。
極端な例ですが、優しい人が嫌いな人だっています。理系の人は論理的でない人はあまり好きじゃないことも多いですし、文系の人は理屈っぽい人は苦手ってこともあります。企業も、論理的な人が欲しい、あるいは、快活な人が好き…ということも。
結局、中身を見られたらうまくいくなんて幻想です。このことは中身を見れないときも、中身を見れるときも同じようなことが起こります。
まとめ
人は中身を見れないし、見てほしい人がたとえ中身を見れたとしてうまくいくとは限りません。中身だけを見てほしいと言うのは、極端な話「自分を評価しろ」の婉曲表現なのかもしれません。
結論、どうすればいいのか
単に中身を見てほしければ、中身を外見にしてください。評価されたければ、自分がいいと思っている中身を外見にしてください。あるいは、自分の中身を評価しているところを「探して」ください。評価されるのは受け身ではなく、積極姿勢です。
就活ではこれは容易です。高々1時間の面接で取り繕うことは難しくないはずです。企業選びを適切にすれば、評価される会社は見つかります。恋愛や友人関係の場合…就活と別ベクトルで難しいですが、自分に暗示をかけてふるまえば成功するかもしれません。